ジェスチャー文化探訪

古代ローマからSNSまで:親指を立てるジェスチャーの変遷を追う

Tags: ジェスチャー, 非言語コミュニケーション, サムズアップ, 文化, 歴史, 地域差

親指を立てるジェスチャー、「サムズアップ」の多様な顔

私たちは日常的に、あるいはオンライン上で、親指を立てるジェスチャーを目にしたり、自分自身で行ったりしています。スマートフォンやソーシャルネットワーキングサービス(SNS)における「いいね!」ボタンのデザインとしても広く認識されているこのジェスチャーは、肯定や承認、賛同といったポジティブな意味合いで使われることが一般的です。しかし、この普遍的に見える「サムズアップ」には、地域や歴史によって全く異なる、あるいは意外な意味が込められていることをご存知でしょうか。本稿では、この親指を立てるジェスチャーがたどってきた歴史的な道のりや、世界各地での多様な意味合いを探求し、その文化的背景を深掘りします。

古代ローマに起源を持つ説と、異論

親指を立てるジェスチャーの起源として、最もよく語られるのが古代ローマ時代の剣闘士の試合における判定に使われたという説です。観客や皇帝が剣闘士の生死を決めるとき、親指を立てるか下げるかでその運命を示したとされています。一般的には、親指を立てる(Pollice verso、またはPollice recto)が助命、親指を下げる(Pollice verso)が処刑と解釈されることが多いですが、古代の文献における記述は曖昧であり、実は親指の向きではなく、親指を隠すか出すか(拳の中に親指をしまうのが助命、親指を出すのが処刑)だったという異論も存在します。いずれにせよ、このジェスチャーが人命に関わる重要な判断のシンボルであった可能性は高く、その後の歴史における「肯定」「否定」の意味合いの萌芽を見ることができます。

ただし、このローマ起源説以外にも、親指を立てるジェスチャーの起源については諸説あります。例えば、海軍において帆船の速度を示す際に使われたという説や、農業において作物の出来栄えを「良い」と評価する際に使われたという説などです。特定の明確な単一の起源を特定することは困難ですが、いずれの説も、何らかの「良し」「OK」「承認」といった肯定的な意味合いと結びついている点が興味深いところです。

地域による意味の反転:肯定から侮辱へ

現代において、親指を立てるジェスチャーは英語圏を中心に広く肯定的な意味で使われます。例えば、計画が順調に進んでいることを示したり、誰かの発言に同意したり、シンプルに「良いよ」「頑張って」といった励ましの気持ちを伝えたりする場合です。第二次世界大戦中には、連合国側で「Vサイン」と並んで「勝利」や「OK」を示すサインとして広まったという経緯もあります。

しかし、このジェスチャーが必ずしも世界共通の「OK」サインではないことは、異文化交流において注意すべき重要な点です。特に、中東や南米の一部地域では、親指を突き上げるジェスチャーが強い侮辱的な意味合いを持つことがあります。これは、いわゆる「中指を立てる」ジェスチャーと同様、相手に対する敵意や軽蔑を示すサインとして認識されているためです。例えば、イランやイラク、アフガニスタンなどでは、このジェスチャーは性的な侮辱に相当する非常に失礼な行為とされています。また、ラテンアメリカ諸国の一部でも同様に否定的な意味で捉えられる場合があります。

このような意味の地域差は、同じジェスチャーが異なる文化圏で独立して発生したり、あるいは歴史的な交流の中で意味が変容したりした結果と考えられます。一つのサインが、ある文化では最大の賛辞であり、別の文化では最大の侮辱となり得る事実は、非言語コミュニケーションの複雑さと奥深さを示しています。

現代社会における「サムズアップ」の進化

インターネットとSNSの普及は、親指を立てるジェスチャーに新たな役割を与えました。Facebookの「いいね!」ボタンに代表されるように、オンライン上での肯定的な反応や共感を示す普遍的なアイコンとして定着したのです。これは、物理的なジェスチャーがデジタル空間に移植され、その意味を拡大・再定義した例と言えるでしょう。現代の若者たちの間では、実際の会話の中でも、この「サムズアップ」が、SNSで培われた感覚と結びついて、よりカジュアルな「了解」「OK」「良い感じ」といった肯定的な返答として使われる機会が増えているかもしれません。

しかし、このデジタル化された「サムズアップ」の意味合いも、利用されるプラットフォームや文脈によって微妙に異なります。単なる「既読」の代わりや、消極的な同意、あるいは「とりあえず反応しておく」といった程度の軽い意味合いで使われることもあります。一つのジェスチャーが、古代ローマの剣闘士の運命を決めたサインから、現代のインターネット文化を象徴するアイコンへと、その形はほぼ変わらずとも、意味合いと重みを大きく変えてきた過程は、文化とコミュニケーションのダイナミズムを示しています。

まとめ:ジェスチャーに隠された文化の綾

親指を立てるジェスチャー、「サムズアップ」は、一見シンプルで普遍的なサインに見えますが、その歴史的起源には諸説あり、世界各地では異なる、時には真逆の意味で使われています。古代ローマでの生死を分けるサインであった可能性、第二次世界大戦中の肯定的なシンボルとしての広がり、そして現代SNSにおける「いいね!」としての定着。この一つのジェスチャーをたどることで、私たちは文化がいかに形成され、変容し、そして異なる地域で多様な解釈を生み出すのかを垣間見ることができます。

異文化に触れる際には、言葉だけでなく、こうした非言語コミュニケーションであるジェスチャーにも注意を払うことが重要です。私たちが当たり前だと思っているジェスチャーが、相手の文化では全く異なる、あるいは失礼な意味を持つかもしれません。親指を立てるジェスチャーの多様な顔を知ることは、異文化理解を深め、より円滑なコミュニケーションを築くための第一歩となるでしょう。一つの小さなサインの裏に隠された、豊かな文化の綾に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。